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【楽演祭VOL.3】スキマスイッチ×和田唱(TRICERATOPS)講義全文公開

スキマスイッチの大橋卓弥さん、常田真太郎さん、そしてTRICERATOPSの和田唱さんを迎えての楽演祭VOL.3の講義。 テーマは「音楽プロデュース」について。一口に「音楽プロデュース」といっても関わり方は様々。 スキマスイッチ、和田唱さんにおいての音楽プロデュースについて訊いてみました。

撮影:コザイ リサ

プロデューサーとはどんな仕事?

――今回のゲストはスキマスイッチの大橋卓弥さんと常田真太郎さん、そしてTRICERATOPSから和田唱さんです。和田さんは最近、1stソロアルバム『地球 宇宙 僕の部屋』をリリースしたばかりで、今回はソロとして登場ですね。
和田:そうです、よろしくお願いします。
――では授業を始めたいと思います。こんなふうに大学で授業なんてないですよね?
大橋卓弥(以下、大橋):ないですね。
常田真太郎(以下、常田):大学行ったことないですもん。
和田唱(以下、和田):映画によく出てくるよね、向こうの映画にさ、こういう。憧れでしたね。
――今回、どんな授業をやろうかという打ち合わせを皆さんとしまして、じゃあプロデュースの話をしましょうということになったんですよね。
和田:わかりにくいですもんね、プロデュース。
――TRICERATOPSはプロデューサーがいらっしゃったんですよね?
和田:はい、一応、プロデューサーっぽくないプロデューサーがいました(笑)。
――スキマスイッチはずっとセルフプロデュースでやられてきたという。
大橋:そうですね、プロデューサーって立ち位置の人は僕らには基本的にはいないですね。一回も。
常田:デビュー前に少しそういう方と一回やってみようかって話はあって、1曲くらいやってみたんですけど、結果、プロデューサーいないほうがいいんじゃないか、って話になって。今の事務所の方にもその形式が合わないって言われましたね。
――ちょっと前にスキマスイッチは、2017年にさまざまなミュージシャンをプロデューサーとして迎えたアルバム『re:Action』をリリースされたんですよね。
大橋:そうですね。ずっとセルフプロデュースでやってきて、プロデューサーに立ってもらって作品を作るとどんな感じになるのかな、ってのに興味はあったんですけども、なかなか誰かにお願いする機会もなくて……。そこで10数年やってきて、で、ちょっとここらで他の人が僕らの楽曲を手がけたらどうなるのかなって、試してみたいなと思いまして。でも、今さらいわゆる職業プロデューサーの方々よりも、同じアーティスト目線でやってくれる人が面白いなと思って。それで、その中で和田さんにも力を貸してもらったりしたんです。
和田:他にも、名だたるスターたちにね(笑)。
常田:名だたるスターたち……って(笑)。
大橋:僕らもこの業界にいてこの人にはプロデューサーがついてるとか有名な人はいますけど、このアルバムはサウンドを聴いて、これはたぶん自分たちでやってるんだろうなっていうアーティストにお願いしたんですよね。だから奥田民生さんとかも、自分で全部の楽器を演奏をしたんです。
常田:他の方のプロデュースもしている人たちですね。民生さんもPUFFYをはじめいろいろな方をプロデュースしているんで、そこの情報も入れながら、結構CDとか聴きながら、誰にするか考えましたね。

――なるほど。で、いろんな面々の中から和田さんに白羽の矢がたったと。
和田:光栄ですね。
――和田さんは他の人のプロデュースをやるっていうのは結構ありますか?
和田:僕はSCANDALとか。NegiccoのKaedeさんとか。たとえば、SCANDALの曲を1曲書かせてもらって、楽器のアレンジとかも全部して。僕はレコーディング自体には携わってないですけど、まぁいわゆるプロデュースですよね。そう!プロデュースですよ! 僕しましたよ! 女の子のプロデュースは、とにかくいいとこ見つけたらちゃんと「いいねぇ!」って褒める。昔、泣かしちゃう人とかよくいたみたいですけど。プロデューサーで、女の子が歌えないと、ちょっと緊張感を煽って泣かしちゃう。それね、全然いい結果生まないですから。
――なるほど。褒める。
和田:褒める。すごいスムーズでしたよ。
――スキマスイッチのお二人は他の人をプロデュースすることはありました?
常田:僕個人ではちょこちょこ。特に(大橋)卓弥がソロでバンドやってるころは、いろいろやらしてもらって。そこから単発ですけど。あと、二人でやったりもしましたね。
和田:何をするの? 常田くんのプロデュースってのは。
大橋:そうね、今日はプロデュースがテーマですもんね。プロデュースって、はっきりした、これをする仕事って、1つじゃないんですよね。
――打ち合わせでも話をしましたが、プロデューサーの仕事ってなんでしょう、ってのを学生に教えてたいと言ったら、それは現場ごと、とか、その人ごとで全然違うから、簡単にはまとめられない、という結論になったんですよね。
常田:スタイルがあるんですよね、その人その人。
和田:なんとなくいるだけで雰囲気を作っていく人もいれば、わりとサウンドとか歌詞のこととかも細かくアドバイスしてくれる人もいれば、いろいろですね。僕はとにかく褒めました。いいね! 今のいいよ!
常田:大事。


海外の音楽プロデューサー

――授業なんで、海外の名プロデューサーみたいなのを紹介していくとこから入っていければと。一応僕があげました、まずはジョージ・マーティン。5人目のビートルズと言われている。ビートルズは4人で作ってましたけど、いろんなアドバイスとかをジョージ・マーティンがやったと。
常田:実際ピアノ弾いたりしてますしね。
和田:あとこの人やっぱり譜面が書けたから、それはビートルズにとっては強みですよね。ビートルズは譜面なんて全然できなかったから、そういうちょっとした弦のアレンジとかは、全部ジョージ・マーティンに委ねてたんですね。それでそれこそイエスタデイとかも、♪Yesterday, all my troubles seemed so far away~、あの後ろで弦がなってますけど、あぁいうスコアは全部ジョージ・マーティンが書いてますね。
――つまり、ビートルズはいろんな作り方をしてたと思いますけど、ポール・マッカートニーがピアノとメロディでとか、ギターと歌でとか、コードとメロディと歌詞を作って、それを、じゃあそれにストリングスを乗っけようとか、こういうアレンジをしようとか提案して譜面書いて、全体の曲を作っていくみたいなのをジョージ・マーティンがやっていたと。
で、次がクインシー・ジョーンズ。世に知られてるのはマイケル・ジャクソン。
和田:アルバムだろ『スリラー』とかね。『オフ・ザ・ウォール』とか。
――いわゆるマイケル・ジャクソンの全盛期はクインシー・ジョーンズがプロデュースをしている。彼とマイケル・ジャクソンがどういうふうに絡んでたか、僕はあんまりよく知らないんですけど、でもやっぱりサウンド・メイキングとかもかなり?
和田:人脈がハンパないからクインシーは。もともとジャズの時代から、トランペッターですからね、もともとジャズ・ミュージシャンで、フランク・シナトラのスコアを書いたりとかもして。だから実は、マイケルがプロデュース頼んだ時に、周りは、え? あのジャズのクインシー・ジョーンズ? なんであんな古い人とやるの? マイケルやめたほうがいいよ、って言われたらしいですよ。ちょっとだから、マイケルの世代からするとオールドなプロデューサーだったんです。でもやっぱり音楽的バックグラウンドとかさ、その才能ってすごいのね。マイケルは、クインシーと組むことで絶対僕の中のいいところが伸びるとマイケルは思って、で、周りの反対を押し切って一緒にやりましょうってクインシーにいって、そして、『オフ・ザ・ウォール』、『スリラー』ですよ。
――で、80年代のチャリティーソング、「We are the world」も有名ですよね。あれもクインシー・ジョーンズが仕掛け人として、いろんなミュージシャンに声をかけた。人脈が広いってのも結構大事なポイントですよね。
和田:あと、すべてのジャンルに精通してるっていうね。ジャズからR&Bでもロックでも、近年はヒップホップとかも導入してますからね。
常田:アルバムのために40~50曲くらいいっぱい作って、クインシーがどれがいいか?って言って、だからアウトテイクがいっぱい残ってるのはクインシーのおかげらしいですね。
大橋:クインシーは結構指示が細かいらしいですね。例えば、アウトロに入ってるサックスのソロとかも書き譜で、もうこれを吹け、ってのを書いたりとか。「We are the world」の時とかも、すごい細かい指示をしたらしいんですね。で、スティービー・ワンダーが「クインシー怒るなよ」って言ってるシーンがあって。
和田:そうそう、ちょっとピリピリするんだよね。
大橋:きっとジャズから来てるのもあるんでしょうけど、すごい細かい。隅々まで気になる人だったんじゃないですか?
和田:あと、今85才か86才? 
常田:結構いい年ですよね。
和田:でも、世界各国に彼女が20人くらいいる(笑)。
――マジですか?
和田:バイタリティがすごいよね。
常田:今日女子が多いからなぁ(笑)。


――これが、プロデューサーってなんだろうって話した時に、ま、何をしてる人かっていうので、やってる姿とか仕事とかがイメージしやすいのがたぶんジョージ・マーティンとかクインシー・ジョーンズかなと。
常田:そうですね。
――レコーディングの現場だったり楽曲制作の現場にいて、「このテイクがいいぞ」とか、「こういうアレンジしてみたら?」って助言をしたり、あとは譜面を書いていろんなミュージシャンを連れてきたり、という。
和田:ジョージ・マーティンも真面目そうに見えて、めっちゃジョークとか言う人だったらしい。だから、ビートルズのメンバーが突拍子もないアイデアを言うじゃないですか、レコーディングの方法なんて知らないから、こんなことやってみようぜ、とか言うと、いや、君たちそれは無理だよ、なんて1回も言わなかったらしいです。面白そうだからやってみようか、って。
――結構そこ大事ですよね。
和田:そこ大事ですよね。
常田:聞く耳ね。
――お役所みたいに、そんなことはダメです、って言うとクリエイティビティーがしぼんじゃいますよね。

音楽プロデューサーの仕事は多岐に渡る?

――で、海外でいうと、ベリー・ゴーディJrって、モータウン・レコードの創業者なんですが、彼はプロデューサーって言われているけど、どっちかっていうとビジネス寄り。
和田:まぁ社長ですよね。モータウンっていう、みなさんご存知ですか? 音楽レーベルですね。レコード会社、ブラックミュージックのレコード会社。
――マイケル・ジャクソンももともとジャクソン5で。
和田:そう、もともとジャクソン5って兄弟グループはモータウン所属ですね。
――だからある種アメリカの黒人音楽の時代、歴史を作った一大レーベルみたいなのを立ち上げた。だから、彼については、どっちかっていうと、レコーディングスタジオとか楽曲制作の現場であれこれ言うってよりは、ビジネスを作っていく。
常田:一番大きいのはお金を引っ張ってくる。彼は完全にそっちのプロデューサーで。楽器の云々よりはお金引っ張ってきて、こういうことしたらすごいんじゃないか、っていうアイデアを出して。
和田:でも結構作詞とかのクレジットに。
常田:アレンジはたしかあんまりクレジットされてないですよね?
――なので結構、ほんとに、アメリカとイギリスの名プロデューサー3人って言われてるって人を並べても、ちょっとずつスタンスが違ったりする。
和田:あと大事なこと言うとですね、ベリー・ゴーディは、この時ちょうどモータウン所属のスーパースターだったダイアナ・ロス、もともとシュープリームスって女性グループの中の実質スターですよ、その子がソロになって、ソロ活動もすごく大成功したダイアナ・ロスと、奥さんも子供もいるのに、ダイアナ・ロスと付き合ってたんです。ジョージ・マーティンだけはそういう意味では紳士。ちなみに、ジョージ・マーティンは何年か前に亡くなって天国です。ところがね、このクインシーとベリー・ゴーディは歳はじいさんですよ、まだ生きてますからね。エロスと長生きってのは意外と密接な関係があるんじゃないかなって俺は結構。
――たしかにそうかもしれない。
常田:バイタリティ(笑)。
和田:バイタリティだから(笑)。
大橋:なんていうか、例えば、サウンドプロデュースすることも、それから、ベリー・ゴーディみたいにお金を持ってきてこのお金で何か作品を作ろうとすることも、すべてそうかもしれないですけど、人そのものをプロデュースするみたいな。ダイアナ・ロスをどうプロデュースしたかわからないですけど……。
和田:いろんな意味でプロデュースしたかもしれないけど(笑)。
大橋:だから、ジョージ・マーティンもビートルズのそれぞれの個性を殺すことなく、じゃあ君がやりたいならやってみよう、とか、そういうのもやっぱ人そのものを育てていくって言ったらちょっと大げさですけど、そういう考え方がひとつあるのかもしれないですね。
――日本でいうと、最近平成の終わりっていうんで、90年代のJポップを振り返るようなことがよくあると。
和田:悪い人たちが何人いるか(笑)。


日本のプロデューサー

――で、よくあがる名前が小室さんだったり小林武史さんだったり。小室哲哉さんは安室奈美恵ちゃんとかいろんな人を手がけてて。小林さんはミスチル(Mr.Children)を、今はやってないけどデビュー当時からずっとやってた。亀田誠治さんは椎名林檎とかいろんなアーティストをやっていると。
常田:小室サウンドってものが流行った時に生徒のみなさんは生まれてないですからね。それがすごいですね。
――これも実はスタンスがちょっと違う。
常田:バラバラですね。
――いわゆるジョージ・マーティンとかクインシーのタイプのプロデューサーって、この中だと亀田さん。ま、小林さんもそうかもしれない。
常田:しかも亀田さんはベーシストとしても活動されてるんで、アレンジしないって現場もあるんですよね。
――ただただベースを弾くって関わり方もあると。で、小室さんの場合は、プロデューサーっていっても、彼はシンセで全部曲を全部作って女性ボーカリストに歌わせる。そういうタイプなんで、ミュージシャンと話していろんなアドバイスしたり、引き出すっていうのとはまたちょっと違う。例えば中田ヤスタカさんとかもそういうタイプ。だから、プロデュースっていってもスタンス関わり方が全然違うってことなんですよね。
常田:その方ひとりの作品みたいなものが、小室さん強いですよね。作詞作曲編曲。
大橋:小室さんがやってるプロジェクトはボーカルがそのアーティストなだけ、みたいな見え方をすることもありますもんね。で、亀田さんなんかは、自分たちでも作詞も作曲、演奏もするけども、それをどういう方向に持っていくか、導くか、ってアイデアを出したりれている感じがしますよね。
常田:バンドも多いしね。
大橋:小林さんもそう。
――小林さんはミスチルの仕事が有名ですけど、サザンオールスターズのプロデュースが実は転機だったと。90年にリリースされた「真夏の果実」は小林さんプロデュースの出世作と言われていますよね。小林さんがプロデューサーとして最初に関わったのは87年の桑田さんのソロデビューシングル「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」。小林さんは1985年のアルバム『KAMAKURA』以降、活動休止中だったサザンオールスターズの復活シングル「みんなのうた」でサポートミュージシャンとして参加して、その後、桑田さんのソロアルバム『Keisuke Kuwata』から本格的に編曲やサポートミュージシャンとして関わっていたんですよね。
和田:そうですよね。
常田:「真夏の果実」は小林さん自身が三大アレンジのひとつだと言ってますよね。
和田:あ、自信作なんだ。
常田:もともと小林さんは『KAMAKURA』のプロデューサー、藤井さんが紹介したんですよね。
――YMOとかもプロデュースされている音楽プロデューサーの藤井丈司さんですよね。その方の紹介だったと。音楽プロデューサーにもいろんな関わり方があるという。筒美京平さんはプロデューサーっていうよりは作曲家って言われることのほうが多いし、松本隆さんは作詞家って言われることが多い。
和田:そうですね、もともとドラマーですからね松本さんはね。
――はっぴいえんどってバンドでドラマーをやられている。で、日本だと秋元康さんもプロデューサーって言われることが多い。で、秋元さんなんかはアイドルのプロデュースって言われてますけど、スタンスとしては作詞家であると。だから、ここから話そうとしてるのはサウンドプロデュースに関してなおで、筒美さん、松本さん、秋元さんのお三方にはあまり入ってこないかな、と。ここからは、アレンジによってサウンドをどう変えていくか、とか、どう豊かにしていくか、そういうところに関わるプロデューサーの話をしていこうと思います。

サウンドにおけるプロデュース